軍艦島

長崎港 -デジカメ無料写真館-

軍艦島は長崎港外に浮かぶ無人の島です。

軍艦島(ぐんかんじま)

軍艦島(ぐんかんじま)は、2008年9月に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として世界遺産暫定リストに追加記載されることが決まり、2009年1月に記載されました。

無法者の進入によって建物は荒らされ、台風によって崩壊寸前であった島は、行政が関与して島全体を立ち入り禁止地域に指定し、長い間一般の人の侵入が出来ないようになっていました。

しかし、世界的な廃墟ブームで、軍艦島も観光客や元島民の一部などから一般公開や上陸などの要望が強く、2009年4月に見学用の通路約200mに限り公開されることになりました。

「軍艦島を世界遺産にする会」の発起人の坂本理事長は、かつて端島に住んでいた元島民で、崩壊してゆく故郷や思い出、貴重な文化遺産を観光化することで保護され、守る事が出来ると考えました。「世界遺産への登録は、手段であって、目的ではない」と言っていました。

各国のメディアやマスコミなどで取り上げられ露出することが知名度を上げることが出来ます。このサイトは、軍艦島の歴史的な背景や詳しい情報などは持ち合わせていませんので、長崎の観光面でのサポートをして行きたいと考えています。

Sponsored Link

軍艦島(ぐんかんじま)2010年04月21日撮影

軍艦島全景

軍艦島(ぐんかんじま)は、東経129度45分、北緯32度39分に位置し、長崎港から南西に約18km、野母半島の北西約4.5kmの海上に浮かぶ無人島で、正式名称は「端島(はしま)」1810年ごろより良質の石炭を採掘し、日本の近代化に大きく貢献した炭鉱の島である。1974年1月に閉山、当時の地名は長崎県西彼杵郡高島町端島(2005年1月4日市町村合併により現在は長崎市に編入、長崎県長崎市高島町字端島)

軍艦島の大きさは、南北約480m、東西約160m、面積は約6.3ha、周囲約1.2km、海抜47.7mと言う小さな島で、元々は1/3ほどの瀬でしたが、周囲の岩礁や砂州を含め、計6回の埋め立てにより現在の姿に人工的に作られた島である。

3号棟 旧三菱石炭鉱業(株)職員住宅(2010年4月17日撮影)

幹部職員住宅

三菱石炭鉱業の幹部職員専用の鉄筋4階建ての社宅です。他の職員社宅や宿舎などが全て共同浴場だったが、この3号棟と鉱長の住む5号棟だけが内風呂のある高級住宅でした。また、建物左手には鉄骨の一部が見えますが、建て増しの計画があった事が伺えます。

縦鉱へ続く階段(2010年4月21日撮影)

天国へ下る階段

この縦鉱へと続く階段は、地上と地下1000mとの分かれ道で、行く時は暗く沈んだ気持ちで、帰りは思いっきり明るい気持ちで行き来していたのでしょう。階段を下りた所に服のまま漬かる風呂があり、まず衣服に付いた石炭を落としていたそうです。階段にも当時の石炭の跡が残っているようです。

総合事務所跡(2010年4月21日撮影)

総合事務所跡

赤レンガ造りの瀟洒な建物だった総合事務所の一部です。見学用の通路の真ん中付近にあるこの建造物の壁面には心無い侵入者によって沢山の落書きがあったそうです。

肥前端島灯台(2010年4月17日撮影)

軍艦島の灯台

島の岩山の頂上に建てられた灯台は、閉山の翌年の1975年に無人になることで、船舶の安全のために儲けられたものです。正式名称は『肥前端島灯台』、現在のものは1998年に建てかえられた。

左31号棟、中奥25号棟、右30号棟(2010年4月21日撮影)

日本最古の高層アパート

右手の大きな建物は30号棟で、わが国最古の鉄筋コンクリートの高層アパートで地上7階建ての下請用の飯場で、旧鉱員社宅です。エレベーターは無く、竣工時は4階建てだったが、その後7階に増築された。左手31号棟は、1階に端島郵便局、地下に共同浴場があった鉱員社宅。2階部分にボタを捨てる為のベルトコンベアが貫通していたそうです。